始点終点の中で書いたブログ

 

よく始点から終点までの電車に乗る。すれ違う電車が面白い。辿り着いた終点の先に乗客を運ぶ線路はないことが面白い。線路はあるのに私たちを運んではくれない。電車は楽しい。初乗り運賃で半日を電車の中で過ごしたこともある。ただただ遠ざかる行為とどこかへ運ばれている感覚が面白い。電車に乗ることを目的としたお出かけをたまにしないとね。

 

今日は漫画を買いに街に出るという電車に乗ることは目的になっていないけど、目的遂行のついでに電車に乗る機会があるというのは面白い。漫画だけでなく友達に送るプレゼンも探して買うんだ。楽しみだね。

 

 

ここ数日は頭で考えたくないほど頭がおかしかったから、とにかく人と話すときは気をつけた。しゃべりたくないのにしゃべるとしゃべっているフリが見え見えだし言葉が嫌に鋭くなる。それなのにタイミングよく連日ご飯などに誘われたため、暇な私は暇だと出向いてしまうのでした。ばかなの?ばかだよー。

 

しゃべれないんだからしゃべらないの選択肢をなぜ選ばないんだよばかなの。なんでその選択肢に落ち着かないんだよばか。

 

一昨日1人の私が死にました。もう今まで何度も私は私を殺して来たので、今回が何回目の死なのかはわかりませんが、殺したことで今の私が私に囚われていないだけマシなのかなと思います。死んでくれてありがとう私生きていてくれてありがとう私。

 

ここまで書いて電車寝ていた。ちょっともったいない。

 

 

電車から降りて街に出て、漫画を2冊買い、友達に送るプレゼントを買い、クレカの先払いをし、目的達成。陽射しは強かったけど今日は成功。今は帰りの電車の中。また寝ちゃいそう。

 

誰かに私のどうでもいい話を聞いて欲しいな。君に私のどうでもいい話を聞いて欲しいな。化粧でもしたら洋服を買えるようになるのかな。好きなブランドなんて1つもない。悲しい。1つくらい好きなブランドがあってもいいんじゃないのかな。眺めるのが好きな一生買えないようなブランドが。

 

 

2年でなんとなく4kg減った体重と体型のちぐはぐを体が正そうとしたのか、最近見た目が痩せたらしい。胃が空っぽになる体重減少だけじゃ採算つかなくなってどこかの肉を抉り始めたのかな。元がスポーツ体型で細くはないから、痩せたといっても細くなったわけではないのだ。ここが大事、痩せたといっても細くなったわけではない。自分の見た目なんて自分がよくわかっている。体重減らなくていいから体型が細くなればいいのに、とごくたまに思う。

 

 

職場の人に誘われて富士登山をすることになった。基本的に誘われたら断らないことにしているので、富士山かまあいいやくらいの感覚でその場で行きますと返事をしたが、よくよく考えると私は富士山に登るらしい。初登山が富士山。人生面白い。だから富士山に登るまで私は私に勝利し続けられそうだし、富士山登りきれたらそれはそれでしばらくは私が私に勝利できそう。そしてこれがきっかけで登山が好きになればきっと趣味の1つになるし、もういいやと思ったらまた誘われるまで自発的にはやらないんだろうな。人生の中で必ずしも出会うわけではない好きかどうかを決める瞬間に立てるのちょっとわくわくする。登山は好きかそうでもないか。高山病には気をつけて、酸素を持参して行くつもり。

 

 

みんなにあって私にないものがあるんだろうな。私の何かはどこかは欠落しているんなんだろうな。でなければ17も年上のおっさんと一緒に住んだりしないだろうな。普通はそれなりに年の近い人同士が一緒に1から生活をつくって生きていくものなんだろうな。ここのところもやもやが続いているから助けて欲しいけど、何に対して助けを求めているのかわからないから誰にも助けを求めることはできないね。時間が解決してくれるといいな。この助けて欲しい感覚。どうして助けて欲しいのか自分がわからないのに誰かが助けてくれるなんてないよ。助けて〜。

 

がんばれわたし!わたしはわたしが好きだよって言えるように、わたしはわたしの好きをたくさん見つけるんだよ!でもわたしはわたしで生きてて楽しいって思うこともちゃんとあるから、無理に好きになろうとして嫌な思いはしないようにね。それじゃ嫌いになっちゃうから!楽しくね。

 

 

draw(A)drowただ流していると大丈夫なんだけど、うっかり聴くと泣きそうになる。泣かないよ。ブログには書かない秘密。大好きな歌だよ。素敵な歌をありがとう靖子ちゃん。大好きだよ。

 

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。せっかく読んでいただいたのに最後までぐだぐだ。いいよね、こんなブログがあったって。こんなですが、ブログを読んでいただきありがとうございました。気が向いたらまた書くので、気が向いたときに読んでくれると喜びます。

 

どうしようもなくひどいブログ

 

結婚なんて別にしなくても幸せなんてもうずっと知っていたことだし、万が一幸せな結婚なんてものがあるとしてもそんな結婚をする人は結婚していなくても幸せに辿り着いていたと思うし、幸せになるための結婚なんて幸せに完結を求めているようでその先、結婚の先はどうするのかなって鼻で笑いたくなっちゃうよね。

 

歌詞の自己解釈はやめた。みんなやっててみんな尊いから。みんなって誰のことか知らないけど。

 

私にとっては死ねば死ぬほど生きられるより殺せば殺すほど生きられるだった。同じ私の死ぬでも自死より自殺の方が言葉の並び的にはしっくりくる。どんな時代だろう。

 

大森さんが歌にしてくれる言葉、私も少し気がついていたよ。大森さんの方が言葉にするのすっごくうまかったけど。

 

なんて醜い私なのでしょう。もっと綺麗にいろんなものを好きでいたかった。好きは好きなんだけど。

 

私は自分の見た目に私はこれだとほぼ折り合いをつけているので、今更かわいいだとかブサイクだとか、そういうのもういいんです。誰にも迷惑かけない程度の見た目で、誰にも迷惑かけない程度の存在感で、誰にも迷惑かけない程度の人間であればそれでいいと思う。キラキラからの逸脱。こんな諦めじゃ自己満足の自己評価はちょっとできないよね。それでもいいんだよ。

 

私はお酒やお薬や男に頼らず、絶望的な夜はただひたすら音楽に頼って来たよ。酒も薬も男も好きじゃないだけだけど。音楽さえあれば私は救われたし、それはたとえ夜が明けて朝の光が見えて来たような夜だって、音楽が救ってくれた夜だったと思ったよ。私の真っ黒な穴に永遠に流れ続けてくれるのが音楽だった。音楽の容量は無限大だって気がついた。

 

大森さんのTOKYO BLACK HOLEという歌が好き。東京に特別強い念や執着はないけれど、東京がブラックホールだなんて面白いけどしっくりくる。ブラックホールはみんな生まれてみんな帰る場所ってセーラームーンで読んだよ。そしてね、この歌のこのフレーズがとても好きなんだ。『透明な銃放つ自由』。この言葉があるだけで私生きていけると思った。殺しても生きていける、死んでも生きていける、私は私の生に自由に生きられる。自由っていうのはとってもすごいこと。以前よく書いていた大森さんへの手紙には、大森さんの自由を大切にしたいというような旨をものすごく書いていたと思う。生意気だ。今だって強くそう思っているけど。

 

 

今日は日が出てきて天気がばっちりよかったら布団を干したいと思います。何か考えているようで何も考えていない私の生活が、なんとなくうまくいきますように。

 

ここまで読んでくれてありがとうございました。書き連ねている間私は自己満足の塊であることが多く、たまにブログ書くのってオナニーみたいだなと思います。というかオナニーですよね。こんなひどい私の思考も性癖のひとつなんです。どうしようもな。どうせならお布団の中でオナニーすればよかったね。

 

 

改めてここまで読んでくれてありがとうございました。ひどいブログ。読んでくれてありがとう。読む人の感覚で読まれ方が変わるブログ。面白いね。誰がどう読んだって私はどうしようもない私なので、誰がどう読んだって構わないんです。これだけ書いて誠意を持って伝えたいことなんて大森靖子が好きくらいなので、それ以外はどう伝わったっていいんです。あ、セーラームーンが好きはセーラームーンが好きで伝わることにしてください。セーラームーン好きなので。

 

では、また気が向いたら書きます。こんなところまでお付き合いありがとうございます。

 

下書き保存蓄積する癖やめたい

 

昨日今日と結構言葉を並べていたブログが文章が消えた。まあいいや。

 

ずっとWinkの『トゥインクル トゥインクル』を聴いている。かっこいいしかわいいし強いし弱い歌詞だと思う。掃除中YouTubeWinkメドレーを流していたら流れてきて覚えた。

f:id:samehebi:20170614170238j:image

ただ綺麗になるんじゃなくて、同じ場所で綺麗になるの。ずっと愛してるんだけど、愛してるじゃなくてILOVEYOUを永遠にあげたいの。つよい。

 

バイクの2段階みきわめが終わったのであとは卒検。今日も、ひとつひとつはできているから焦らないで、と言われた。焦らない焦らない。

 

100円ショップでかわいいペンケースを買った。ペンは入れないけどだからと言ってなにを入れるかはまだ決めていない。なにか入りたい物はないか私の持ち物たちに募集をかけよう。「この超かわいいケースに入りたい物〜」。たくさん集まるといいな入りたい物。でもそこから選抜するの、せっかく集まってもらったのになんか申し訳ないから、ビシッと入れるもの決まるといいな。自分の持ち物ちゃんと把握しよう。自分でちゃんと決めよう。

 

今年は自分にルビーの指輪を買うと決めていたけど、バイクを買うことにしたから指輪を買うのは延期だな。iPhoneの画面も落として割っちゃったし。

 

 

 

って途中まで打って大森さんのところに向かい入場してドリンクもらって席を確認してお手紙を美マネさんに渡してきた。泣いた。今は帰りの電車の中。やっぱり弾き語りのTOKYO BLACK HOLE好きだな。つよい。無敵。神様。天使。悪魔。天国。地獄。渋谷を東京に(笑)渋谷で聴くTOKYO BLACK HOLEもつよいです。

私も靖子ちゃんに永遠にILOVEYOUをあげたいな。つよくなろう。今日は赤いカーディガンを着てみた。

 

教習からライブ。朝から出かけて間にふらふらする時間がたくさんあったからか今日は少し疲れたな眠たいな。お家帰ったらすぐにお風呂ですぐにお布団。

 

先日の土日は私が乗りたいと言い出した『鎌倉あじさい号』に乗っておっさんと鎌倉に行ってきた。臨時列車は普段通る線路と違う線路を通るのが超面白い。超超超面白い。鎌倉はもちろん楽しかった。また来年もあじさい号に乗って鎌倉に辿り着きたい。

 

 

14日に 書き終えてたブログだけど、今日見つけたから今日投稿しますね。遅れた時間軸の出来事だけど読んでくれてありがとうございます。

 

高速道路は乗るより眺める方がいい

 

 

大森靖子さんがブログを書いていたのでブログを読んだ。せっかくなので高速バスで移動中の私もブログを書く。大森さんがブログを書いていたからそうだ私もブログを書こうと思っただけで、大森さんのブログを読んで伝えたい何かがあるとかそういうんじゃない。私は私の内臓をもってブログを書くだけ。ブログで内臓の見せ合いっこは私が一方的に文章を重ねるために難しいと思うから、見せ合いっこにはならない私のブログは私の内臓の見せ逃げ。歌詞や文章を書かない私には内臓を見せるところがブログしかない。タダで内臓を見せてるの。今の私どんな表情してるだろう。内臓を見せて苦しがってるかな、それとも喜んでいるかな。ブログは好きだけどそんなに書かないから好きって言葉あんまり信じてもらえないかな。ブログは書くのも読むのも好きだよ。

 

 

私が大森さんに出会ってから大森さんが見せて肯定してくれた内臓がたくさんあってぐちゃぐちゃだった私の内臓もああ内臓ってこうやってできるんだって形や色を持った。それは大森さんの内臓を見ていたはずだけど大森さんの内臓と同じにはならなくて私が持つもので作られた私だけの私の内臓だった。私は自分の身体のパーツはあれもこれもあそこも汚いと思っていたけど、人には見えない内臓だけは大森さんに肯定されとてもこころが満たされたし綺麗になれたようだったし生きる自由を得たようだった。身体があってその中には内臓があってこころがあるって大森さんに教えてもらった。大森さんは大森靖子を通して私の内臓をたくさん肯定し、こころをたくさんたくさん満たしてくれた。だから私は大森靖子が好きだし大森靖子さんである靖子ちゃんが大好き。それは出会った時から今でもずっと。

 

 

私から出る言葉が薄っぺらい気がして好きを伝えるのを怠っていたら好きって気持ちも薄らいでしまうかな?気持ちは薄らいでしまわないけれど失っているものはある気がする。言葉にするのやめたらいろんなもの失った気がする。ほら何を失ったか気がつかない。鈍感鈍感。鈍感になるってことは敏感さを失うのかな。もともと鈍感だったか。

 

 

TOKYO BLACK HOLEを聴いた時『街灯はたらくおっさんでぼくの世界がキラキラ』って東京に連なるビルの灯りだってすぐに情景が浮かんだ。私が生まれ住んでいた町の夜にビルの灯りはなくて、道路に等間隔で並ぶ街灯や家の灯りがわずかに漏れるくらいだったから、東京に来て、夜がこんなに明るい街があることに驚いた。東京の明るさは昼より夜の方が絶対強い。その分暗さの黒が増すんだろうけど。前置きが長いけどTOKYO BLACK HOLEはとても好きな歌。だって歌の中に東京の街が見えたから。これが東京。

 

 

今度占いに行こう。仕事として私を客観視してくれる人の言葉を聞いてこよう。占いなんて行ったことないしすぐに忘れちゃうだろうけど。

 

 

私は夜の高速道路のキラキラも好きだよ。

 

 

ここまでお付き合いありがとうございました。まとまりのない文章だけど、久しぶりに時間軸と並行しない漠然とした思考をつらつら書けたのは楽しかったです。読み手がいてもいなくても私はここが私のブログである限り好きな時にブログを書こうと思います。気が向いたらまた書きます。読んでもらえると嬉しいです。読んでもらえなくてもいいやって気もしているけれど。

 

おしまい

 

おもしろいせいかつ

 

人に話すほどでもない話がどんどん溜まっている。おっさんと同棲を始めたこととか、指輪が欲しいといっていたことを私の軽口だと思われていたこととか、バイクの技能教習が今週末から始まるとか、欲しいバイクに目星がついたこととか、今日夢を見たけど内容は忘れた話とか、みんな春だからってよくそんな薄着で出かけられるなとか、欲しいと思った靴が2万円したとか、課長って書くはずのところ全部係長って書いてその課長に提出したこととか、髪の毛のあとがつきやすくて朝には大変なことになっているとことか、足のサイズが0.5㎝縮んだこととか、私が私の生活って面白いと思ったことはブログにしか書かないこととか。

 

 

いいな、今日のこのお天気の中バイク乗ったら気持ちいいだろうな。風が前から後ろに流れて、その風にバンバンあたって、周りの景色がどんどん流れて行くのを見るんだー。あー楽しみ。私も早く免許を取って愛車に乗ってどこかに行くんだ。楽しみ。その前に教習所に通わなければ。

景色が流れゆくのが好きで、どんどん遠ざかっていくのを感じられるのが好きで、だから新幹線より鈍行が好きで、結果寝台が好きに行き着くのだという話をしたら共感された。その人も遠ざかってる感は好きなのだそう。私が旅をするのに大切な1つのポイント『遠ざかってる感』。旅先に向かっているとも言うが、私には今いるところから遠ざかっているというのがしっくりくるのだ。

こんないろいろ考えなくとも、小さい頃から電車に乗るのが好きなだけなんだけど。私の住む町から大きな街まで行くのに、行きと帰りのトンネルの数が違くて、行きにいくつトンネルがあったか帰りにいくつトンネルがあったか、もうわかりきっていることなのに毎回確認してちゃんとあった!というのが幼児の私にはとても楽しかった。電車は楽しい乗り物という記憶が埋め込まれているだけなのだ。幼児の頃の楽しい記憶というのはなかなかの強さを持っていて、今でもドラえもんの映画は観に行ってしまうし、サンリオの小物も集めてしまう。今の私は昔の私の延長だとつくづく感じる。バイクだって叔父が持っているものによくまたがらせてもらっていた。かっこいいと思っていた。叔父に子供ができる頃バイクはなくなっていたけど。楽しいの思い出は強いな。それがずいぶん昔で今すぐの記憶でなければないほど、余計楽しかったと強く感じてしまう。過去の楽しいに今の楽しいが負けないよう、今だって私は私の楽しいを探して見つけて楽しんでいるけど。だってまたがっていただけのバイクを今度は走らせるつもりなんだから。真夜中にトンネルの数がいくつあるのかわからない旅に出て途中青函トンネルを通過したんだから。

 

 

もうすぐ電車を降りなくちゃいけないから今日のブログはここら辺でおしまいにしよう。

読んでくれてありがとうございました。

また気が向いたら書くので気が向いたら読んでください。

 

きのうのはなし

 

宝塚に行った。初めて行った。ずっと行って観てみたかった。あまりにも楽しみで駅前のビックカメラで倍率6倍の双眼鏡を買った。8倍と迷ってデザインの気に入った6倍にした。宝塚劇場では6倍で十分と言われたことも6倍を選んだ理由。店頭でものすごくプッシュされてたおすすめは8倍だったけど。結果買ってよかった。双眼鏡そのものも気に入ったのでこれはこれでよかった。会場に向かうのにあまりに気持ちが焦って、30分前には椅子に着席していたい気持ちだった(実際に座ったのは10分前とか)。宝塚劇場の入り口入ってすぐの赤絨毯見たら両手広げて天井仰いで床に抱きつきたい気持ちになった(少し大げさに表現しました)。でも階段の一段一段をもっと噛み締めたかったのは本当。夢の世界かよいいや夢じゃないと頭の中でぶつぶつつぶやいて、ただのエスカレーターにもエスカレーターがあるー、ただのトイレにもトイレがあるー、というほどのわからない感動。宝塚劇場のトイレに入ったことすら私には重要な思い出なのだ。重要な体験だ経験だ。そしてステージ。キラキラしていた。物理的にはもちろん、台詞のひとつにしても身振りのひとつにしてもキラキラしていた。1番はスターの方々が輝いていた。眩しいけどずっと見つめられる、化粧がビシッと決まっているからこその表情を見たくて見たくて双眼鏡を覗いていた。もちろんステージ全体を目に入れたくて双眼鏡を膝に置いていたときもある。なんと目の忙しいことでしょう。あーあ幸せ疲れ。私は宝塚を観たという経験により私の生活の充実度が上がる瞬間を体験してしまったのだ。帰りも終始ご機嫌で、お腹の空き具合ははなまるうどんだったのだけれど、今日という日をさらに盛り上げたく特別にしたく駅ビルでグラタンとチョコミントケーキのセットを食べた。宝塚を観てディナーにケーキまで頬張る…こんな1日決して欲張ってはいないとおもう。今日という日を完璧にするための私の1日の作り方だったのだ。もちろんこんな生活を毎日しているわけではないので、納豆ご飯を食べる普段の晩からすればとても欲張った夜なのかも知れないけれど、今日という日を作るためには納豆ご飯ではダメで、つまり必要なことであったのだから欲張りとは少し違う。贅沢な時間を過ごしたとは思う。過ごした時間そのものは贅沢であったとわかる。あーあ幸せごちそうさま。またいただきますします。日々お腹は減るんです、だから生きてるんです私。

 

ライブのチケットを一般発売で購入してみた。ちょうど仕事が休みだったから。1から数えるといつまでたってもたどり着かなそうな、見たこともない3桁の整理番号だった。それがなんだか面白くてしょうがない。当日が楽しみだな。

覚えていなくていいよ

 

好きだったのよあなた 胸の奥でずっと

 

昨日の職場の送別会、くじで決まったそんなに居心地の悪くない明るいテーブルの真ん中の席に座っていたはずなのにマッタクシャベラナイワタシ。先日おっさん彼に「〇〇ちゃんはコミュニケーション下手だよ」というようなことを言われ、初めて私は人とコミュニケーションが取れていないのかという意識を持つ。仕事場での必要事項の伝達や少しの談笑はできる(これも自分ができてると思っているだけで実際何もできていない可能性があることは置いておいて)、でも飲み会の席などで全く話を広げられない。思い当たることがありすぎた。話せないから聞くことに徹しようという勝手な役割は私の中の自己完結であるため他人がそんなこと知る由もなく、他人から見るとただただしゃべらないつまらない人になっているのだろうな。…そもそも大人数が集まる場でしゃべらなくなるのは昔からだし今に始まったことではない。それは自分でもわかっている。大人数でいる時の方が自己がふわふわつかめず透明になり何を話してもピンとこないため気持ち悪い。そして大人数でいる時に圧倒的孤独を感じやすいのが私の厄介さ。まあそこに気がついてからはなるべく1人を大事にしている。自ら選ぶ1人は寂しくない。ことが多い。でも私が1人が寂しくないことを知っているのは1人じゃないを知っているからで、1人じゃないを教えてくれたいろんな人には感謝をしている。それにしてもコミュニケーションが下手というのは致命的ではないのか、改善の余地ありかそもそも改善の必要ありか。

 

あなたしか見て無いのよ

今すぐに此処でキスして ねぇ

 

同い年の先輩が他部署の厄介者と付き合い始めたことを知る。門限が21時らしい。そうじゃない。あなたのその思考のもと行われる束縛は私を殺してるし、仮に束縛するとしてもあなたからもらって許せる束縛はそうじゃないのと私なら説明をする。わかってくれるくれないは別として私は私の意思を伝え続ける門限なんてくそくらえ。先輩は今のところ門限を守っているらしい。他人様の恋愛事変に首を突っ込んでも向こうさんからはお節介者なだけなので、いつでも私の中の喫茶店のドアを開けてお茶でも飲みにおいでの姿勢でいようと思う。私は大体の帰る時間さえ伝えておけばあとは勝手にどうぞという距離感がいいな。親ともそんな感じだったし、今の彼もそんな感じだし気にすらされていないときもあるしなんなら私の出かける予定全然覚えてくれないし…。 どこで何してたのという会話は束縛でなく話題の提供くらいの感覚で、私は私の時間を私だけのものとして過ごすことができないと死んでしまうと思う。

 

ここにきて閃光少女リピート

 

飲み会で何も話せなかったくせに、家に帰ってからおっさん彼に洪水のように話をしてお風呂に入ってあっさり眠る昨日の私でした。たぶんこのブログも昨日の夜の続きくらいの感覚。オチも面白みもない自分語りでした。おしまい

 

「私の話を聞いてくれてありがとう」

聞き手や読み手にそんなに感覚はなくても、私は私ために時間を割いてくれる人にありがとうの気持ち。