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ぴんくいろのわたし



私はゆめゆめかわいいピンク色を身に付ける女の子ではありません(私を女の子と呼んでいいのか、ということは今は横に置いておきます)。まして女子力ピンクを身につけたことなどありません。それでもこの歌が私にとっての絶対安全ドラッグである理由。あたしのことうたっていると思う理由。


私が私の素直に従い生きていること、そんな私を見て世間が私を評価すること。この認識のズレにより私にとっての生きにくさが生じたとしても、それは私が悪いのではないと言ってくれている気がします。そう思って聴いている。

そのくせ素直じゃないこともあって。素直に生きてるけど嘘もつく。だから、いままでの嘘が全部ばれても好きでいてってお願い。素直な気持ちで嘘ついたの。嘘つきたいって素直な気持ち。ごめんね。私のこと好きでいて。次はもっと上手に嘘つくから。

って素直になると嫌いっていう。さみしい。素直になって嫌われちゃったら、私のことなんて好きじゃなかったんじゃん。ほらね、好きでいてってお願いしておいたでしょ。好きでいねてね。

正しく呼吸をすれば上手に嘘をついたり、嘘をつかなくても生きていけたのかな?素直な嘘を認められたのかな?どうやって息をするのが正解だったの。

私の清純、誰かに汚されるためにあるわけじゃないからみせないよ。綺麗にいたい、だから清純なんだよ。清純くらい清純でありたい。汚さないで放っておいて。お願い。そもそもみせてあげないんだけどね。

あああ、大森さんは私にあるのかもわからぬ清純を守り、それでいて私が私の清純を守るため蹴散らしたブサイクな私やボロボロの私のことも私とし、むしろこれこそが今あるあなたの本質であるんだから、と掻き集めぎゅっと抱きしめて、ほいっと映し出してくれた。鏡に映るは自分。ああ、あの時もあの夜も越えて私ができたのだ。それはブサイクでもボロボロでも私が生きていた証拠であり、生きてきた証拠のあることのなんと美しいこと、と言わんばかりに私がつくり出した私を美しいと言うのですね。私の記憶の全てが美しいと言ってくれている気がします。私の記憶は私の中で常に持続し更新されながら私をつくりあげる。たとえ途中の記憶がなくとも、今私の身が生きていることが、私が生きたという一貫性を持っていることを教えてくれる。それを美しいだって。みせてくれるって。何か綺麗なものが見たいって言ったのに鏡を差し出されたら怒ってしまいそうだけど、もし鏡を差し出した相手が大森さんだったら泣いちゃうね。でもちょっとしたら、鏡の向きをくるっと大森さんの方に向けたいな。あれ?こんなに美しい人がいるぞ!って…。

大森さんが大森さんの眼球を通して見る私は、一体どんな風に映るんだろう。


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と、ここまで昨夜書いて寝てしまいました。たとえ大森さんがファンみなさんを美しいと言ってくださっても、私の中に汚いはどうしても存在するから、なるべくそんなダメダメが顔を出さないよう、良質なファンでありたいと願います。こんな私でも大森さんが好きで胸が苦しくなるのです。この好きは自己肯定のための押し付けではないと思いたい。そう証明したい。こんな空っぽで、虚無で、無関心な私でも好きだっていえるよう、愛だっていえるくらいちゃんとしたい。音楽と人の記事、大森さんは自分のことを虚無だとおっしゃっておりましたが、愛がある人が虚無なわけありませんよ。私はそう思います。愛を語って愛のない人なんてたくさんいますが、大森さんの愛はそうじゃないって誰が見てもわかるじゃないですか。特に大森さんのファンの方はわかるじゃないですか。愛に溢れているのに飢えているんですかねみなさん(笑)なんて勝手なこともブログだと言えちゃう。握手会が終わった後の写真が羨ましかった。私は逃げるように帰ってしまった。あそこにいたかった。でもきっと1人で待つ時間が耐えきれない。ダメダメになっていく自分を押し上げて耐えなくちゃいけない。大森さんのファンの方と仲良くしたい。でもすぐ謝っちゃうし、大森さんの事ですら空っぽな私がいることで何になる。あああ、私は好きを自己肯定として叫んでるのかな。だとしたらただの承認欲求。ごめんなさいすら承認欲求。心から可愛く謝りたい。こんな感情ぶちまけて、一方的にぶちまけて好きっておかしい。好きなのかな好きじゃないのかな。わかんないわかんないわかんないよ。嘘。好きだよ。じゃなきゃこんなに泣いたりしないよ。苦しくなんてならないでしょう。私は知識型のファンでは全くないので、急に大森さんって何歳と聞かれた時えっととなってしまったり、今日のニコ生の開始時間が曖昧だったり(見ることができないのでタイムシフトしましたごめんなさい)、知りたいという欲求が少ない。でも大森さんの感じることを知りたい。そのためには、大森さんがしていることや発言したことからヒントを得て、自分でなるべく正解に近づくしかないのに。私が私に、好きなら自然と知りたいって思うものなんだよって言うから、もうこんなこと考えてしまっている時点で自然ではなくなってしまったし、考えたくせに知ろうとしない自分もいるでしょう。とか、こんなぐちゃぐちゃひっくるめて、私はいいファンではないなと思うんです。一方的感情の押し付け。本当に。ダメダメだ。ちゃんとしたい。ちゃんとしたい。ブロスを毎週買っているのはちゃんとに入る?でもこれはちゃんとしたいからじゃなくて、私が読みたいから買ってるんだよ。へへへ。

おしまい。


こんなブログをお昼に更新することになってしまいました。まあいいでしょう。たかがブログの更新時間に非常識などない。と思いたい。

ここまで読んでくれてありがとうございました。多少なり私を嫌いって気持ちが生まれてくるのではないでしょうか。そんなに興味ありませんか(笑)前回のブログのアクセス数が8でした。そのうち私が何回アクセスしたんだろうって考えておかしくなりました。どうだっていいよアクセス数なんて、って本気で思う。このブログを読んだ人1人がいるという事実が大切。だから感謝するんです。読んでくれてありがとうございます。はてなブログに移行するつもりはありませんがまたこっちで書いてしまいました。ややこしいことしてすみません。という程継続読者はいないかも(笑)まあ、どこであれ楽しく(今回のブログの内容絶対楽しくないけど)書くことができてよかったです。ありがとうございました。また気が向いたらここかじゅげむか書きますから、その際も読んでいただければ喜びます。ただ嫌な気持ちになったらすぐやめてください。だからそんなに興味ないって!じいしきかじょー!嘘!読んで!みんな読んで!嘘!読まないで!私のこと見つけて!見つけないで!


最後の告白。
【私が私の素直に従い生きていること、そんな私を見て世間が私を評価すること】
私の中でこの2つは実は同意義。だって、私の言う世間とは私のことなのです。私が社会という世間から否定されたことは覚えている限りありません。私を否定するのはいつも私なのです。現在、人間失格を読み返しております。


ちゃんとしたい