おもしろいせいかつ

 

人に話すほどでもない話がどんどん溜まっている。おっさんと同棲を始めたこととか、指輪が欲しいといっていたことを私の軽口だと思われていたこととか、バイクの技能教習が今週末から始まるとか、欲しいバイクに目星がついたこととか、今日夢を見たけど内容は忘れた話とか、みんな春だからってよくそんな薄着で出かけられるなとか、欲しいと思った靴が2万円したとか、課長って書くはずのところ全部係長って書いてその課長に提出したこととか、髪の毛のあとがつきやすくて朝には大変なことになっているとことか、足のサイズが0.5㎝縮んだこととか、私が私の生活って面白いと思ったことはブログにしか書かないこととか。

 

 

いいな、今日のこのお天気の中バイク乗ったら気持ちいいだろうな。風が前から後ろに流れて、その風にバンバンあたって、周りの景色がどんどん流れて行くのを見るんだー。あー楽しみ。私も早く免許を取って愛車に乗ってどこかに行くんだ。楽しみ。その前に教習所に通わなければ。

景色が流れゆくのが好きで、どんどん遠ざかっていくのを感じられるのが好きで、だから新幹線より鈍行が好きで、結果寝台が好きに行き着くのだという話をしたら共感された。その人も遠ざかってる感は好きなのだそう。私が旅をするのに大切な1つのポイント『遠ざかってる感』。旅先に向かっているとも言うが、私には今いるところから遠ざかっているというのがしっくりくるのだ。

こんないろいろ考えなくとも、小さい頃から電車に乗るのが好きなだけなんだけど。私の住む町から大きな街まで行くのに、行きと帰りのトンネルの数が違くて、行きにいくつトンネルがあったか帰りにいくつトンネルがあったか、もうわかりきっていることなのに毎回確認してちゃんとあった!というのが幼児の私にはとても楽しかった。電車は楽しい乗り物という記憶が埋め込まれているだけなのだ。幼児の頃の楽しい記憶というのはなかなかの強さを持っていて、今でもドラえもんの映画は観に行ってしまうし、サンリオの小物も集めてしまう。今の私は昔の私の延長だとつくづく感じる。バイクだって叔父が持っているものによくまたがらせてもらっていた。かっこいいと思っていた。叔父に子供ができる頃バイクはなくなっていたけど。楽しいの思い出は強いな。それがずいぶん昔で今すぐの記憶でなければないほど、余計楽しかったと強く感じてしまう。過去の楽しいに今の楽しいが負けないよう、今だって私は私の楽しいを探して見つけて楽しんでいるけど。だってまたがっていただけのバイクを今度は走らせるつもりなんだから。真夜中にトンネルの数がいくつあるのかわからない旅に出て途中青函トンネルを通過したんだから。

 

 

もうすぐ電車を降りなくちゃいけないから今日のブログはここら辺でおしまいにしよう。

読んでくれてありがとうございました。

また気が向いたら書くので気が向いたら読んでください。