どうしようもなくひどいブログ

 

結婚なんて別にしなくても幸せなんてもうずっと知っていたことだし、万が一幸せな結婚なんてものがあるとしてもそんな結婚をする人は結婚していなくても幸せに辿り着いていたと思うし、幸せになるための結婚なんて幸せに完結を求めているようでその先、結婚の先はどうするのかなって鼻で笑いたくなっちゃうよね。

 

歌詞の自己解釈はやめた。みんなやっててみんな尊いから。みんなって誰のことか知らないけど。

 

私にとっては死ねば死ぬほど生きられるより殺せば殺すほど生きられるだった。同じ私の死ぬでも自死より自殺の方が言葉の並び的にはしっくりくる。どんな時代だろう。

 

大森さんが歌にしてくれる言葉、私も少し気がついていたよ。大森さんの方が言葉にするのすっごくうまかったけど。

 

なんて醜い私なのでしょう。もっと綺麗にいろんなものを好きでいたかった。好きは好きなんだけど。

 

私は自分の見た目に私はこれだとほぼ折り合いをつけているので、今更かわいいだとかブサイクだとか、そういうのもういいんです。誰にも迷惑かけない程度の見た目で、誰にも迷惑かけない程度の存在感で、誰にも迷惑かけない程度の人間であればそれでいいと思う。キラキラからの逸脱。こんな諦めじゃ自己満足の自己評価はちょっとできないよね。それでもいいんだよ。

 

私はお酒やお薬や男に頼らず、絶望的な夜はただひたすら音楽に頼って来たよ。酒も薬も男も好きじゃないだけだけど。音楽さえあれば私は救われたし、それはたとえ夜が明けて朝の光が見えて来たような夜だって、音楽が救ってくれた夜だったと思ったよ。私の真っ黒な穴に永遠に流れ続けてくれるのが音楽だった。音楽の容量は無限大だって気がついた。

 

大森さんのTOKYO BLACK HOLEという歌が好き。東京に特別強い念や執着はないけれど、東京がブラックホールだなんて面白いけどしっくりくる。ブラックホールはみんな生まれてみんな帰る場所ってセーラームーンで読んだよ。そしてね、この歌のこのフレーズがとても好きなんだ。『透明な銃放つ自由』。この言葉があるだけで私生きていけると思った。殺しても生きていける、死んでも生きていける、私は私の生に自由に生きられる。自由っていうのはとってもすごいこと。以前よく書いていた大森さんへの手紙には、大森さんの自由を大切にしたいというような旨をものすごく書いていたと思う。生意気だ。今だって強くそう思っているけど。

 

 

今日は日が出てきて天気がばっちりよかったら布団を干したいと思います。何か考えているようで何も考えていない私の生活が、なんとなくうまくいきますように。

 

ここまで読んでくれてありがとうございました。書き連ねている間私は自己満足の塊であることが多く、たまにブログ書くのってオナニーみたいだなと思います。というかオナニーですよね。こんなひどい私の思考も性癖のひとつなんです。どうしようもな。どうせならお布団の中でオナニーすればよかったね。

 

 

改めてここまで読んでくれてありがとうございました。ひどいブログ。読んでくれてありがとう。読む人の感覚で読まれ方が変わるブログ。面白いね。誰がどう読んだって私はどうしようもない私なので、誰がどう読んだって構わないんです。これだけ書いて誠意を持って伝えたいことなんて大森靖子が好きくらいなので、それ以外はどう伝わったっていいんです。あ、セーラームーンが好きはセーラームーンが好きで伝わることにしてください。セーラームーン好きなので。

 

では、また気が向いたら書きます。こんなところまでお付き合いありがとうございます。