あなたへ自己責任なブログ

 

駅伝を見ていて思い出したことを今度は忘れないようにここに書き残し記録しておきます。駅伝を見たくらいでこんな忘れていた過去のことを思い出したから今日は頭の調子があまり良くないんです。

 

私は中学高校と運動部に所属し、放課後休日と毎日部活に明け暮れ練習を重ねていました。高校時代の部活の記憶はほとんどない、たぶん忘れたいと強く願っていたので私は都合よく忘れてくれたのですが、中学時代は特に忘れたいような記憶もなく、時間の流れとともに薄れていった記憶がほとんどなのでなんとなく思い出せることが多々あります。今日駅伝を見ていて思い出した記憶は確か中学時代のものだったように思います。

 

挑戦する人はその人が生まれ持つ才能や習得した技術、様々なものを持ちいざ挑戦する場、本番(学生時代の私の場合は試合)を迎えるのですが、先に述べたものの他に"今までやって来た自分"という自分の過ごした時間に対し生まれる自信も持てるのだと思います。流れた年月の時間でなく自分が意思を持って過ごした時間です。人に流れる時間は365日24時間一緒ですが、明確な意思を持って過ごした時間は人によって様々だとおもいます。そして本番では、その自信こそ自分の持ち得た能力の全てを発揮するための最大の武器になると思います。なんとなくという曖昧な自信ではなく、今までやって来た自分自身への揺るがない自信こそ、本領発揮につながると思いました。

もっとこうしておけばよかったは結果論なので、これから本番に向かう人間には不必要なものです。今目の前にある何かに立ち向かうため、自分の今までの時間の全てを溜め込み持つことが大切だと思うのです。それが自信です。自信があればなんでもできる、というわけではありませんが、スタート直前の今の自分を、今までという時間を溜め込んで挑んでいる最中の今の自分は超えていくと思うのです。

駅伝は順位がつくものなので勝ちが目に見えてわかるのですが、順位のつかない勝ちだったあって、それは今の自分をもっと先の今の自分が超えることだと思います。自分に勝たなければ誰にも勝てないんです。

そして過ごした時間の自信は、もうダメだという最後、持てる全ての力の残りひとしずくを振り絞る力になると思います。追い上げは目の前にいる相手ではなく自分を超えているんだと思います。

 

 

私はもう中学時代の私ほど頑張ることもできないし、自信だってどこでどうつけたらいいのかわからなくて自分を励まし慰めうまくやり過ごし、生きてるのか死んでるのかよくわからなくなることがある。私は中学時代の私を超えられない。という壁を自ら作り上げている。それでも生きたい今の自分を生かすため生きてるって感情を欲して感じては泣いて生きてる。

自信って生きる上でとっても大切だって知っていたはずなんだけどな。

 

 

恥ずかしいブログ。言葉もうまく使えないし。何を言いたかったんだろうね。生きててね私ってところかな。がんばろ

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。過去を語っている時点で今の私はもうダメなんです。ダメってことをわかっていながら脳内に留めておけずこうして目に見えるように書き出してしまうことがもっとダメなんです。ダメの永遠ループです。どうかダメな私を叱らないで。泣いてしまうから。

 

助けて欲しくはないよ。自分を助けられるのは自分だけだから。がんばれ。

 

 

最後の最後までありがとうございました。私の記録があなたの記憶に流れてしまいました。読んだあなたの自己責任、私を許してね。でも読んでくれたことは嬉しいです、心からありがとうございます。また気が向いたら書きます。

 

死んでても生きるよ

死にたくなっても死ぬまで生きるね