高速道路は乗るより眺める方がいい

 

 

大森靖子さんがブログを書いていたのでブログを読んだ。せっかくなので高速バスで移動中の私もブログを書く。大森さんがブログを書いていたからそうだ私もブログを書こうと思っただけで、大森さんのブログを読んで伝えたい何かがあるとかそういうんじゃない。私は私の内臓をもってブログを書くだけ。ブログで内臓の見せ合いっこは私が一方的に文章を重ねるために難しいと思うから、見せ合いっこにはならない私のブログは私の内臓の見せ逃げ。歌詞や文章を書かない私には内臓を見せるところがブログしかない。タダで内臓を見せてるの。今の私どんな表情してるだろう。内臓を見せて苦しがってるかな、それとも喜んでいるかな。ブログは好きだけどそんなに書かないから好きって言葉あんまり信じてもらえないかな。ブログは書くのも読むのも好きだよ。

 

 

私が大森さんに出会ってから大森さんが見せて肯定してくれた内臓がたくさんあってぐちゃぐちゃだった私の内臓もああ内臓ってこうやってできるんだって形や色を持った。それは大森さんの内臓を見ていたはずだけど大森さんの内臓と同じにはならなくて私が持つもので作られた私だけの私の内臓だった。私は自分の身体のパーツはあれもこれもあそこも汚いと思っていたけど、人には見えない内臓だけは大森さんに肯定されとてもこころが満たされたし綺麗になれたようだったし生きる自由を得たようだった。身体があってその中には内臓があってこころがあるって大森さんに教えてもらった。大森さんは大森靖子を通して私の内臓をたくさん肯定し、こころをたくさんたくさん満たしてくれた。だから私は大森靖子が好きだし大森靖子さんである靖子ちゃんが大好き。それは出会った時から今でもずっと。

 

 

私から出る言葉が薄っぺらい気がして好きを伝えるのを怠っていたら好きって気持ちも薄らいでしまうかな?気持ちは薄らいでしまわないけれど失っているものはある気がする。言葉にするのやめたらいろんなもの失った気がする。ほら何を失ったか気がつかない。鈍感鈍感。鈍感になるってことは敏感さを失うのかな。もともと鈍感だったか。

 

 

TOKYO BLACK HOLEを聴いた時『街灯はたらくおっさんでぼくの世界がキラキラ』って東京に連なるビルの灯りだってすぐに情景が浮かんだ。私が生まれ住んでいた町の夜にビルの灯りはなくて、道路に等間隔で並ぶ街灯や家の灯りがわずかに漏れるくらいだったから、東京に来て、夜がこんなに明るい街があることに驚いた。東京の明るさは昼より夜の方が絶対強い。その分暗さの黒が増すんだろうけど。前置きが長いけどTOKYO BLACK HOLEはとても好きな歌。だって歌の中に東京の街が見えたから。これが東京。

 

 

今度占いに行こう。仕事として私を客観視してくれる人の言葉を聞いてこよう。占いなんて行ったことないしすぐに忘れちゃうだろうけど。

 

 

私は夜の高速道路のキラキラも好きだよ。

 

 

ここまでお付き合いありがとうございました。まとまりのない文章だけど、久しぶりに時間軸と並行しない漠然とした思考をつらつら書けたのは楽しかったです。読み手がいてもいなくても私はここが私のブログである限り好きな時にブログを書こうと思います。気が向いたらまた書きます。読んでもらえると嬉しいです。読んでもらえなくてもいいやって気もしているけれど。

 

おしまい