おやすみしない嘘つきの書いたブログ

 

1月12日に書いたブログの下書きが残っていたので残っていたところをそのまま更新します。

 

 

 

日々明るい気持ちと暗い気持ちを繰り返して生きていますが、誰だってそんなもんでしょう?と自分の気持ちの波を肯定している。んなわけあるか自分に都合のいいように自分を解釈して回り傷つけてるかもしれないんだぞ、私殺人犯かもしれない。明暗も薄く、常に一定に、ニコニコ穏やかでいたい。

 

 

今は暗い気持ちなので、ツイッターで『大森靖子』を検索し、初代大森靖子を筆頭にアイコン超かわいい大森靖子がたくさんいて、そうだよねこれが大森さんのいるべき世界だと、大森靖子のいる私の世界を黙々と創り上げるならまだしも、大森靖子のあるべき世界のようなものを勝手に決めつけ創り上げ大森さんの自由を私の思考の中で奪おうとしていた。でも大森さんはそんなあるべき世界など決めるような方ではなく、大森靖子を愛するひとりひとりを"ちゃんと"愛しているとわかっているのに、そのちゃんとの愛から自分をこぼれ落としてしまう。というこの文も大森靖子を決めつけているもうダメダメなものではあるが、大森さんは大森靖子を好きだという人を決して見捨てはしないとそう思っているのは本当。話せば話すほど大森さんの魅力を私は語れない事実に落胆しているところ。

 

 

先日の旅行中、雑貨屋さんで小さなガラス製のベルを買った。知らない街の知らない道で見つけたアンティークのお店で気に入ったものを買ってみたいという願望があったので、大きな家具や高い小物は買えなかったけれど、ちょうど手軽な大きさで手軽な値段のベルを買った。きっと悲しくなったときチリンチリンって鳴らすと何かが助けに来てくれるベルだと思う。家に帰って開けた嬉しさでもう何回もチリンチリン鳴らしているけど。キラキラかわいいからやっぱりなんでもない時も鳴らそうと思う。お気に入りの物が増えるのは嬉しい。自分で買った物に自分の心が救われる。お気に入りは絶対増やしたほうがいい。

 

 

 

毎日感情は死んでいるとばかり思っていたけれど、そうでもない日があったんだねと1月12日のブログの下書きを読み返して思ったのでした。いつの間にかちゃんとしたいときに聴く大森さんの歌から、大森さんの歌を聴くときはちゃんとしたいに変わっていることがあると気がつきました。ライブのときは毎度ちゃんとして会いに行きたいと思ってはいたけれど、自宅で音楽を聴くときにまで自分の精神状態を整えなくちゃいけないのつら。大森さんの音楽はもっともーっと私のすぐそばにいるよ。私の中にいるよ。いつもそこにいてくれてありがとう。消えないでいてくれてありがとう。私が消さないようにしているんだけど。ふふふ、大好きだよ。いつも優しさをありがとうね。

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。こんなブログでも読んでくれる方がいるのなら、そんな超優しいあなたになんだか幸せな瞬間ができるだけたくさん訪れますように。ありがとうございました。また気が向いたら書きます。また読んでくれたら嬉しいです。